RAMIの形而上学入門

売れてない俳優目線の哲学論

だから君はいくんだ、微笑んで。6日目。

男がいた。

雷が鳴り響く中、プロジェクターでフルハウスを流しながらパンを焼いていた。

  

ということで今日はパンを焼いていました。

引っ越してから5回目くらいのパン焼きです。今日は食パン。

食パン。イギリス生まれ。僕は食パンの形が大好きです。

山型の食パンも好きですし、長方形のも好きです。

あの形を見るだけで感動すら覚えます。

僕にとって食パンの形は平和の象徴なのです。

 

パン作りは概ねこねる時間があるのですが、この時間が僕は一番好きです。

最初の材料を混ぜた後の生地は果てしなくパンとは遠くてそれを手でこねる時に一抹の不安がよぎるのです。これ、まとまるん?って。

パンの種類によって様々なんですけど、まじにベトベトで纏まりやすさを全く感じない物もあったり、すぐ千切れて伸ばすことが出来なかったりととにかくしんどい。

この時点でやめたくなる。

けど、イースト菌がこの時ちょー頑張ってるのです。

叩きごねからのV字ごね、丸めあげるとそこには見違えるほどきれいになった生地がいます。

その時にああ、人生。と感じます。

 

無心にこねるあの時間は生きていく上での辛さやしんどさを忘れさせてくれます。

そして最後には一人前の生地になった我が子が目の前にいるのがものすごく感慨深い。

立派になったね。って声をかけてやりたい。そしたら我が子は「全てうまくいくよ。」と返事をしてくれた気がします。

 

そう僕はこのためにパンを焼く。自分のために。平和のために。

 

争いはなくならない。人には感情があるから。

でも争いはなくならないが止めることはできる。

いろんな考え、感情のぶつかり合いで起きる争いには少しそれから離れるアクションがあれば争いはその間は起きない。

そこにパン焼きというアクションを持ちたい。

パンをこねている間、そして発酵させている時間、焼いている時間は人を殺せない。

傷つけない。傷つかせない。

そして焼き上がって、焼けたパンを見てからまた考えて欲しい。

それがどんなパンでも自分が焼き上げた我が子の前で物騒なことは出来ないだろう。

 

Love&Peace

 

P.S

いやー日にち超えちまった。

いよいよ連続投稿も明日で一週間。はやい。

明日で一旦連続投稿は終わりにしよかなーって思います。

締め切りに追われる漫画家さんごっこ楽しかったです。

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