RAMIの形而上学入門

売れてない俳優目線の哲学論

君の笑顔で明日がくる。page.9

女子高生が好きである。みているだけで癒される。

いやもっと正確に、注意深く説明しないといけないと思う。

女子高生という存在が好きだ。それ以上は本当に思っていない。好きなタイプは断然に年上だ。そのことをわかった上で続きを読んでもらいたい。

 

女子高生。まあ男子高校生でもいいのだが、高校生という三年間の可能性は無限大だと思っている。分かりやすくいえば日本のほとんどのアニメや漫画が高校が舞台なようにだ。なんでもできる。それになんでも許される。いや許されないことももちろんあるのだが。

 

そんなことを思うのは周りに親しい高校生がいないからなのだろう。思い出補正というかなんというか、とにかく高校生は偉大だと思える。

そして異性の女子高生、JKは自分が体験してないからこそ、より神格化されている。

 

と、ここまでついていただけた方には続きを読んでもらいたい。

世の中には理不尽なことがたくさんある。これは仕方がないことだ。

そんなことはわかっていてもやるせない気持ちになる。そんなときに女子高生の力を借りる。

つまりは、例えば、理不尽に怒られた。こんなことで怒らないでほしい。そんな時怒ってくる人をそっと頭の中で女子高生に置き換える。

するとどうだろう、心地よい。

無闇に殴られた、貶された。それもみんな女子高生だと思おう。別によくなる。

どうしようもすることのできない問題に頭を抱えている時、その時間がすごく憂鬱でしんどくて、やめたくて、辛くて。

そんな問題もどうにか女子高生に置き換えよう。解決には繋がらないかもしれないが、なんとかやり過ごせれる。

無機物でも大丈夫。買ったばかりのものが壊れた。女子高生に壊されたと思えば大切に思える。

大事な日に雨が降った。女子高生の涙だと思えば愛おしく思える。

ああ、女子高生に感謝。

 

女子高生には女子高生の悩みがある。全てがキラキラしているわけではない。

この女子高生置き換え世渡り術は、幻想でできた女子高生に現実逃避している救いようのないことかもしれない。しかし、そんな幻想がないと生きていけないんだ!

やっていけないのだ!幻想を信じないといけないほど、この世界は終わっている。

信じて何が悪い。救いが、ただ救いがほしいんだ、どうか、女子高生よ、笑って生きてくれ、、、、、。

 

 

 

 

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