恐怖の底から這い上がれ page.7
蛇に睨まれたカエル。
って言葉があるじゃないですか。意味的には見据えられて身が竦み、逃げることも立ち向かうこともできずにそこに立ち尽くしているさま、恐怖で立ち尽くすむ様子などを喩えた表現らしいです。けど最近カエルは次の一手のために、生き残るために動かないことがわかったそうです。蛇より先に動くより、蛇が動いてから動いた方が生き残る確率が高いらしいです。だからカエルは怖くて動けないんじゃなくて、生き残りをかけたゾーンに入ってるってことなんですよ。カッコよ( ゚д゚)
普段睨まれることってあんまりない現代社会ですが、僕は去年睨まれて動けねぇってことが多々ありました。鬼に睨まれていたのです。
そこに鬼がいた。
オーラと言うかなんと言うか。なんかあるじゃないですか。多分その類のものだと思いますが、僕の先輩がオーラを纏ったときは鬼そのものでした。
同じ舞台に立った時、先輩は鬼だった。鬼に見えて仕方がなかった。笑ってしまうくらい鬼だった。いやもう怖すぎた。稽古の時のあの人の出す空気感と言ったらただものではなかった。
負けたらだめだ。逃げちゃダメだと立ち向かった自分はさながら新解釈版蛇に睨まれたカエルだったと今思う。
生き残るために、必死に食らいついていた。まあ見返すとめちゃくちゃ怯えているのだが。笑
生きてちゃ怖いことがたくさんあるけど、怯えるだけじゃなく、しっかり向き合って闘う気持ちを忘れちゃダメだなって、めちゃくちゃ勉強になりました。
どんな時でも次なる一手を。諦めずに模索したい。そう思うだらだら過ごしてしまった1日の終わりです。はー、頑張ろう。頑張れ自分。頑張れ世界。
P.S.
先輩の初めて動いているところを見た時に感動したのを覚えています。
場を制す存在感、心に響く声、微かに目視できるオーラ。めちゃくちゃかっこいい。
あの人のくれた言葉は自分の座右の銘なっています。いっぱい教わって、遊んでもらって、すっごくお世話になりました!
あの人に笑ってもらえる自分でいなくちゃね!
ムーンライト伝説。7日目。
月がキレイだ。
今日は満月でフラワームーンというらしい。
月の光がこんなにも明るいなんて。久しぶりに月を眺めてそう思う。
距離にして384,400km。とてつもなく遠い。
でも昔から知っていて、近い存在なのに。
宇宙にはまだ知られていないことがたくさんで、なんなら地球も知られていないことがまだたくさんあって、僕は本当になにも知らないまま生きている。
知らないことがたくさんあって、知らないまま死んでいくのだろう。
生きてるうちにどれだけ望んでもたくさん出来ないことがあるだろう。
望めば必ず手に入る世界じゃない。
でも望まなければならない。知らないことも知りたいと思わなければならない。
じゃないと生きてる意味がない。
無理かもしれない。無駄かもしれない。間違っているかもしれない。
でも、それでもだ。
知らないことがたくさんあるのは当たり前。道が険しいのも当たり前。
道が簡単な時もあるかもしれない。けど本当に欲しいものはほとんど難しいところにある。
望め。欲望を顕にしろ。生きろ。
何かに理由をつけて諦めるな。生きてるなら、本当に欲しいのなら渇望しろ。
やりたいことから逃げるな。逃げたら生きてる意味がない。生きろ。
人類は月に行けたのだから。きっと一歩は踏み出せる。
P.S
連続にして絶対書き上げるってなったら自分の本当に書きたいことがかけた気がします。意味のわからないけどカッコつけててだいぶイタイ感じが僕の書きたいことでした。拙い文章で申し訳ございませんでした。
こんなイタイ奴もいるんだなって感じで楽しんで貰いたいです。
七日間付き合ってくれた方、本当にありがとうございます。
明日も頑張れ!おいらも頑張る!
だから君はいくんだ、微笑んで。6日目。
男がいた。
雷が鳴り響く中、プロジェクターでフルハウスを流しながらパンを焼いていた。
ということで今日はパンを焼いていました。
引っ越してから5回目くらいのパン焼きです。今日は食パン。
食パン。イギリス生まれ。僕は食パンの形が大好きです。
山型の食パンも好きですし、長方形のも好きです。
あの形を見るだけで感動すら覚えます。
僕にとって食パンの形は平和の象徴なのです。
パン作りは概ねこねる時間があるのですが、この時間が僕は一番好きです。
最初の材料を混ぜた後の生地は果てしなくパンとは遠くてそれを手でこねる時に一抹の不安がよぎるのです。これ、まとまるん?って。
パンの種類によって様々なんですけど、まじにベトベトで纏まりやすさを全く感じない物もあったり、すぐ千切れて伸ばすことが出来なかったりととにかくしんどい。
この時点でやめたくなる。
けど、イースト菌がこの時ちょー頑張ってるのです。
叩きごねからのV字ごね、丸めあげるとそこには見違えるほどきれいになった生地がいます。
その時にああ、人生。と感じます。
無心にこねるあの時間は生きていく上での辛さやしんどさを忘れさせてくれます。
そして最後には一人前の生地になった我が子が目の前にいるのがものすごく感慨深い。
立派になったね。って声をかけてやりたい。そしたら我が子は「全てうまくいくよ。」と返事をしてくれた気がします。
そう僕はこのためにパンを焼く。自分のために。平和のために。
争いはなくならない。人には感情があるから。
でも争いはなくならないが止めることはできる。
いろんな考え、感情のぶつかり合いで起きる争いには少しそれから離れるアクションがあれば争いはその間は起きない。
そこにパン焼きというアクションを持ちたい。
パンをこねている間、そして発酵させている時間、焼いている時間は人を殺せない。
傷つけない。傷つかせない。
そして焼き上がって、焼けたパンを見てからまた考えて欲しい。
それがどんなパンでも自分が焼き上げた我が子の前で物騒なことは出来ないだろう。
P.S
いやー日にち超えちまった。
いよいよ連続投稿も明日で一週間。はやい。
明日で一旦連続投稿は終わりにしよかなーって思います。
締め切りに追われる漫画家さんごっこ楽しかったです。
頭の中ではいつだって。5日目。
思うようにいかないことがたくさん起きるから、思うようにいかなくてもいいように思いたい。
さすれば思うようにいかなくても、落ち込むこともないし、思うようにいかなく思うことができるようになれば、いいか悪いかわからないけど、高望みせず気楽に前に進めるのではないだろうか。
とは言いつつも思うようにことが進んで欲しいと思う今日この頃。
理想通りにはならない世の中だけど、理想通りの世の中が本当に良いかはわからないし、でもその世の中が何もかも理想通りならそれはやっぱり幸せではないだろうかと思う。
そこでこのどっちつかずなこの感情の答えはどこにあるのだろうか。
哲学を持って答えを出そう。
理想とは、果たして誰にとって”良い”のだろうか。
自分の理想なら自分にとって良いのであろう。
では果たしてその理想の世の中は自分以外の人たちには良いと言えるのだろうか。
そもそもその”良い”という言葉の定義も決めなければならない。
何を持って良いと言えるのだろうか。
自分がお金持ちになっていたり、夢をかなえていたり、幸せな家庭を築いていることが良いのだろうか。
でもそうなってくると本当に他人には良いのかがわからない。
自分だけでいいのか。どうなのか。
人を幸せにしたいと言いつつも他の人はどうなってもいいとでもいうのか。
否。そもそもそこまで他の人のことを考えている人などいないのではないのか。
自分がそこそこ幸せで、周りの環境も少しよければいいや。と考えることはあまりにも愚直な考えではないのか。
目に入る範囲が幸せそうならいいという考えは、まるで目に入るところだけをきれいにして少し面倒なとこはずっと片付かないお部屋と一緒ではないか。
問題を先送りにし続けることはよくはない。しかし多くのことをやろうとして何もできない時もある。
では何を持って自分の理想を掲げるのか。
結論。
とりあえず明日も頑張る。そんで理想を少し近くの現実にする。
P.S
今日はおうちで一人で遊んでました。
明日食パン焼こうと思ってます。楽しみでありんす。
写真は高校生の時の自分です。この時の理想とは多分違う生き方してるけど君に話せる楽しいお話はたくさんあるよ!
とりあえず今知らない人多いリモート飲み会に誘われてて困ってるよ。
これも理想通りの現実ではないや笑
にしても自撮りしてる暇あるなら勉強しろよ。
気ままな進化論。三日目。
いやー。マスク嫌いなんすけど、流石に慣れたなーっと。
慣れって怖い。
知らないうちに自分の感性やら何か大切なものが変わっているかもしれない。
けど、それは自然の原理で、時間は流れて、不変のものはなく、万物のものはみんな変化し続ける。
ちょっと前の感性のままでいると今起きていることについていけないこともあるし。
お猿さんからヒトまで繋がってるっていうとんでも真実があるし。
いろんなことがあってその度変化し続けていくのが人生なんだろうなー。
あと何年後かの自分と、今の自分と、何年か前の自分で飲み会したら凄い楽しいんだろうなー。
今まで聞かなかった歌手を聞いてたり、映画の感想が変わったり、ビールがどんどん美味しくなったり、好きなものが変わらなかったり、逆に嫌いになったり。
なんでそう思うようになったのかその当時の自分に問うとそこには時代の背景だったり、周りの環境だったり、周りにいる人たちの影響があって、その時代をしっかり生きてるんだなーって実感できると思う。
そしたら人生は自分の物語って感じがする。
そんなことを久々にけいおんの曲聞いて思いました。どないやねん。笑