RAMIの形而上学入門

売れてない俳優目線の哲学論

ウルトラの星 page.4

 

 新しく住んでいる家の最寄駅で降りるのは内見の時が初めてだった。

知らない地名、知らない街並み、知らない空気。けど引っ越しは三回目だからそこまでホームシックにはならない。

自転車で散歩をしていると見慣れた色合いの壁が目に飛び込んできた。

この色合いはウルトラマンだなーっと、見上げるとそこに描かれていたのは本当にウルトラマンだった。

 

ウルトラマン商店街」

存在は知っていたけど、まさか自転車で行ける距離にあるなんて。きらやばーな展開に思わず目が輝いた。

 僕とウルトラマンとの出会いは2歳の誕生日に貰ったウルトラマンダイナのビデオだったらしい。それから今もウルトラマンは大好きだ。

ウルトラマンガイアの映画でウルトラマンからの卒業を考えさせるシーンがある。一緒に見ていた姉が映画と同じ言い方で「卒業せーよ。」とよく言ってきた。その度大泣きしていた。

「いつか卒業するのかな。もう好きじゃなくなるのかな。寂しいな。」って単に姉の意地悪に腹を立てて泣いていたのもあるが、そんな気持ちもあった気がする。

幼稚園の僕よ。心配するな。今も卒業できてないし、なんならあの頃よりウルトラマンになりたいと思っているのだから困ったものだ。

 

 ウルトラマンをみると忘れていたことを思い出す。

僕は大阪に住んでいたから貝塚にあった円谷ジャングルによく連れて行ってもらった。車酔いがひどい子だったから車がめっちゃしんどかった。鬼のように吐いて向かう円谷ジャングル。ウルトラマンに会える。その一心が僕を強くしてくれた。

僕が眠れない時はお父さんがよく抱っこしながらウルトラマンの歌を歌ってくれた。いつも決まって初マンの歌だった。他のも聞きたかった。今はいろいろあって話してないけど、優しいあの時間のお父さんが大好きだった。

KUMONで壁にぶつかったり、スイミングのテストが嫌だったり、野球の練習しんどい時にはいつもダイナの指人形を鞄に忍ばした。トイストーリーが好きだからお母さんに頼んで書いてもらった下の名前入りのダイナ。

 忘れたくないって思ってても忘れたことがたくさんある気がする。でもウルトラマンは忘れてない。初めてのアルバイトはガッツ星人として働くことだったし、成人式の日にはひらパー行って宇宙人に会いに行った。新しい部屋には指人形のダイナもいる。

 

 ウルトラマンのおかげだ。ずっと歴史をつないでくれたから。それって凄いことだなって。フィクションだけど、作り話だけど、ちゃんといてくれたから。ウルトラの星は本当にあるんだって強く思える。

本当はいないんだぜ。なんてそんなことない。なんでもそうだ。スパイダーマンだって、平沢唯だって、竈門炭治郎だって。心の中にちゃんといる。いないことはない。話を飛躍すれば、怪獣がいる世界だって、呪泉郷がある世界だって、カードキャプターがいる世界だって、戦争や飢餓のない世界だって。想像すればちゃんとある。ないことない。信じることが大事なんだって。

大きくなったらウルトラマンになる。大きくなった今、そんなことを思った。

 

 

 

  

 

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